【時事・雑記】4630万円誤給付問題について思うこと/倫理を大事にする
もさくネコです。
今回は、山口県の「4630万円誤給付問題について思うこと」です。
冴えないおじさんが飲み屋で駄弁っていると思ってお読みください。
結論
- 受け取った方は、短期・部分的に利益があっても長期・全体的には不利益だと思う
- 倫理を大事にすることは、合理的だと思う
- 失敗しても大丈夫な社会のほうがよくないだろうか
目次
思ったこと
受取人の方は短期・部分最適を求めて損をしてしまっている
受取人の方は、大金を手にして、一見ラッキーに思えます。
しかし、もう少し長期・全体的な目線で見てみると、巡り巡って自分の首を絞めています。
以下に理由を示します。
本来渡るべき人にお金が渡らず、富の偏在状態。
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生活困窮者など、困る人が出る。受取人さんを恨む人が出る。
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物・サービスの生産者の儲けが少なくなったり、店が潰れたり、受取人さんへ恨みを持った人がトラブルを起こしたりする。
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さらに他の店や人に負の連鎖が起きる。その結果、治安が悪くなったり、受取人さんが必要な物やサービスの質が下がったり、そもそも物やサービスが生産されなくなり、買えなくなったりする。
↓
受取人さん、不幸になる
以下省略といった流れです。
今回のケースだけでなく、今日の日本社会ではわりとよくあります。
例えば、企業活動でも短期・部分的な利益を求めて、労働者を酷使したりすることがあると思います。
同じ理屈で、一時的に儲けが出ても、長期・全体的に見てみると損をしており、衰退していきます。
倫理を大事にすること
倫理に基づけば、返金という結論になるかなと思います。
倫理は何も、感情論でも、非論理的でも、非合理的でもありません。
倫理を無視すれば、上記のような側面があるのです。
私は、倫理を大事にすることは、長期・全体最適になっていると考えます。
そういうことを考えてくれる人が増えてくれたらなぁと思っています。
失敗しても大丈夫な社会
誤入金してしまった人にもヘイトが向きがちですが、私は失敗しても大丈夫な社会を好みます。
長期・全体最適で物事を考え、倫理に基づき、返金してくれる人が多く存在する社会であれば、大丈夫なのです。
海外では、夜に外を出歩き被害に会えば、出歩いた人が悪いと言われます。でも、日本は夜に外へ出歩いても大丈夫な国とよく言われています。
失敗しても大丈夫だったり、失敗になりにくい社会のほうが、生き心地がいいなとは思います。
ただ、これは事の重大性によっても違いますし、単なる価値観の違いかもしれませんし、お花畑な考えだとも思います。
まとめの感想
結局はその社会の構成員が、どう考え、どんな道を選んでいくかだとは思います。
どのような社会でもメリット・デメリットがあり、その時々に合わせて変化していくのだと思います。