もさくネコのセミリタイア生活

コミュ障、ぼっち、非リア、無能が少し、前向きな人生を模索するブログ

【読書感想】「仕事ができる」とはどういうことか?楠木建・山口周/スキルとセンスのグラデーション

book review


今回は、宝島新書『「仕事ができる」とはどういうことか?』(楠木建・山口周 著)の読書感想です。

 

結論

  • 仕事ができるとは、成果を出せること。
  • 現代における問題の解決には、スキルよりもセンスが必要。センスとは、具体と抽象の往復運動能力のこと。
  • センスは育てるのではなく、育つもの。事後的なもの。
  • 「センスのあるなし」は場所、対象、成果の大きさ次第で決まるものだと思う。自分にはセンスがない、と落ち込まない。
  • ブログ主は、センスとスキルの間はグラデーションっぽいなと感じた。個人的には、熟考なしにはセンスは育たないと思う。

目次

基本情報

 

著者は、楠木建さん・山口周さんのお二人。

楠木さんは、一橋ビジネススクール教授で、「ストーリーとしての競争戦略」という本でも有名なお方。

山口さんは、著作家・パブリックスピーカー・経営コンサルタント・株式会社ライプニッツ代表と色々な肩書をお持ちの方で、「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?」という著書などで有名な方です。

現代における「仕事ができる」とはどういうことなのか、事例を多数紹介しながら、様々な切り口から、対談形式で述べていく書になっています。

読もうと思った理由

「仕事ができる」ことへの憧れがあるからです。

対人援助職を辞して時間が経ち、仕事について、少しだけ客観視できるようになってきました。

日中に過去を思い出すことはもちろん、夢に出てくることも少なからずあります。

ですが今は、「〇〇な部分では自分だってできていたし、すべてが自分の責任ではなく、環境的にどうしようもない要素もあったな」と思えるようにはなってきています。

そこで、もうちょっと前向きに考えられるように、「仕事ができる」ということの意味をもう少し深堀したいと考え、購入しました。

個人的見どころと感想

ざっくりと著者の主張をまとめます。

仕事ができるとは、成果を出せること

本著では、

  • 仕事=趣味ではないもの
  • 仕事ができる=成果を出せること

と定義しています。

そして、仕事ができる(=成果を出せる)ためには、センスが必要だと述べています。

センスとは、山口さん曰く、具体と抽象の往復運動能力とのことです。

具体と抽象の往復運動とは、具体的な問題に対して、頭の引き出しの中から「こうすればいいっぽい」と当たりを付け抽象化し、再び具体的な行動に落とし込む能力のことだと読み取りました。

また、センスの具体例として、スキルと比較して次のようにも述べています。

スキル:英語を話せる、知識があるなど、定量的なもの

センス:女性にモテるなど、定性的なもの

今日における様々な問題は、定量的なものから定性的なものになってきており、性質が変化しているそうです。

なぜなら、マズローの欲求5段階説でいう低層の欲求は満たされ、今度は上層の欲求に対しての需要が増えているからです。上層の欲求は、定量化が困難なものです。

 そうした現状を踏まえ、今後必要な能力というのは定量的な能力たるスキルから、定性的な能力たるセンスになってきている、ということですね。個人的な印象としてもそう感じます。

センスは育つもの

センスの重要性はわかりましたが、どう習得すればよいのでしょうか。

本著では、センスは意図的には育てられないと述べています。

センスの習得は事後性が高い。事後性が高いというのはプロセスと結果の因果関係が良くわからない、ということですよね。(p226)

育てられないけど、育つもの。それがセンスの特徴のようです。

どこで、何を、どれくらい、がセンスの有無を決定すると思う

ここからは私の感想ですが、センスの有無は、どこで、何に、どれくらい、の設定で決まると思いました。

例えば、「どこで」という切り口で考えます。

プロ野球選手は世間一般では、野球全般の能力において、ずば抜けたセンスの持ち主ばかりでしょう。

しかし、プロ野球界の中では、センスの塊な集団の中でも仕事ができる、できないが決まります。

そこでは、センスがあるとか仕事ができるとみなされるのは、大谷選手のような大きな成果を出せる一部の選手になると思います。

このように「どこで」という場所によって、センスの有無が決まります。

また、「何を」という切り口で考えると、プロ野球界でも、ピッチャー、バッター、盗塁、守備など、野球全般のセンスがある集団のなかでも、秀でたセンスに違いがあり、求められるセンスは異なります。

映画監督と医療従事者では、求められるセンスは違います。前者は常識を疑うセンスや演出のセンスなどでしょうし、後者は適した医療行為を素早く、正確に行うセンスが必要でしょう。

つまり、言わずもがなですが、何かしら光るセンスはあっても、単なるミスマッチで発揮できない可能性があるということです。

このように「何を」という切り口でも、センスの有無が決まります。

「どれくらい」の切り口でも同様に考えられます。

以上のことから、センスの有無は、場所、対象、成果の大きさで決まる、と考えました。

 

では、これまで見てきたように、センスが事後性を持ち、場所、対象、成果の大きさで決まるものだとするならば、どのように向き合えばいいのでしょうか。

私は、センスの習得にはいきなり高いセンスを求めすぎないことや、対象や環境次第で発揮できるセンスもあると認識することが大事だと考えました。

自分にはセンスがないと落ち込み過ぎずないためにも、上記のような側面があることは頭の片隅に入れておいてよいかなと思いました。

センスとスキルのグラデーション

センスとスキルは、明確に分けられそうな、分けられなさそうな、グラデーションがあるな、と思いました。

きっかけは、以下の動画です。

【水野学氏】センスは知識でできている - YouTube

水野学(クリエイティブディレクター/good design company 代表取締役慶應義塾大学 特別招聘准教授)

水野さんは、上位数%を除き、センスは知識の集積であるとおっしゃっています。

根拠は、知識の多寡で書ける文章量が違うから、というものです。

少ない知識でもよい文章を作れるのがセンスだ、という反論にはその技術もまた知識であると返答しています。

うーんなるほどとは思いつつも、腑に落ちません。まったく同じことを知っても、人によってものにできる人、できない人がいるからです。

磨かれた知識としていつでも使える形にできる(パターン化、標準化、汎化みたいなイメージ)のはやはり結局センスではないのか、とも思ってしまいます。

このように、どこからがセンスでスキルなのか、明確に区分できなさそうなので、センスとスキルはグラデーションだな、と思いました。

個人的な考えとしては、スキルの集積が熟したものがセンスだと思っています。

私のような凡人がセンスを身につけるには、愚直に試行錯誤を積み重ねていくことが大切でしょう。

まとめの感想

この文章は、うんうん唸りながら考えをひねり出し、断片の情報を繋ぎ合わせてなんとか作成されたものです。

この本に書かれた、仕事ができない人のやり方そのままです。

途中、「結局生まれつきの能力か」と無気力にもなりましたが、なんとか自分なりに落としどころを見つけられました。

人と比較し過ぎずに、過去の自分と比較して、ゆくゆくはセンスを身につけられればなぁと思いました。

本著も学びの多い、考えさせられる書でした。