小田急線の事件に思うこと
もさくネコです。
小田急線の事件が話題になっています。
私は非モテをこじらせているため、少し考えたくなり書いてみました。
結論
- 他責思考は、自己肯定感の低い自分を守るために生まれる
- 強い比較意識は、自己肯定感をさらに下げる
- 自分、他人、社会の3方からのアプローチが大事
- 人には色々な背景があることを知り、優しく寛容に生きていこう
目次
なぜ、強い他責思考を持つに至ったか
対馬容疑者の供述からは、強い他責思考が伺えます。
なぜ、このような思考を持つに至ったのでしょうか?
私は、自己肯定感が低い自分を守るためだと思います。
中央大理工学部に合格し、学業優秀な方です。
しかし、サークルでの件が原因でしょうか、中退しています。
その後、派遣社員など、職も転々とし、人間関係もうまくいかなかったようです。
不本意な進路だったのでしょう。
適切な心の整理ができず、自己肯定感がかなり低かったのだろうと思います。
6年前(2015年)から、幸せそうな女性に敵意を抱いていたとのことで、負の感情は募っていき、悪化する一方だったでしょう。
また、比較意識の強さも伺えます。
「なぜ、自分だけが不幸な目に合わなければいけないのか」という供述からです。
その意識がさらに、自己肯定感を下げていたと思われます。
ただこれは、幸せそうな男性との比較に思えます。
何故、そう考えるか。
サークル活動で女性から見下された件があったとはいえ、女性に対してだけ、強い敵意を抱くことに違和感を感じたからです。
36年の人生の中で、男性から見下された経験は1回もないというは考えにくい。
言語化された思いは女性に対しての敵意だけれども、本当の思いは別のところにもあるように感じました。
大学を中退したあとも、出会い系サイトを通じて女性と関わっています。
この時点で、女性への敵意が強かったならそうはならないはずです。
むしろ、見下されたことを見返す気持ちだったように思います。
大学時代も、中退してからも、就職してからも、周りを見渡せば幸せそうな男女のカップルが目に入ったのでしょう。
そして、その光景を見るたびに周囲の男性と比較して、「なぜ俺は他の男達と同じように女性とうまく付き合えないんだ」となったのではないでしょうか?
そのような他の男性との比較意識がさらに自己肯定感を下げていき、行き場のなくなった思いが、うまくいかない原因を女性に求めてしまったのかなと推測します。
どうすればよかったか?
自分、他者、社会サイドに分けて考えてみます。
自分でできること
不公平は当たり前だと考える
こちらの書籍に「不公平は当たり前」と書かれてありました。
自分も、「なんで俺だけが・・・」と思うことは星の数ほどありました。
しかし、そんな時にたまたま上記書籍を読んで、ハッとしたのです。
「不公平がまったくないことを望むのは、かなり傲慢な考えなんじゃないか?なんでないことが当たり前だと考えていたんだ?」と思ったのです。
不公平を称賛しているわけではないです。
「不公平はないに越したことはない。だけど、あるのが現実。」
と受け入れていけばよいのだと思います。
比較・競争意識に上手に向き合う
一応過去に書いた記事がありますので、多少は役に立てるかな・・・と。
女性とうまく付き合えなくても、学んだことや成長できたことは砂粒一つでもあるはず。
過去の自分と比較して、成長できていればOKです。
理想を下げる
女性と、しかも理想のタイプと、お互い不満なく仲良く付き合えるのは、ほんの一握りの男性だけではないでしょうか?
美男美女揃いの、華々しく活躍して幸せそうに見える芸能人も、見えないところではいろいろと影の面があって、離婚に至ったりしているのが現実です。
理想を求めることは大事だけれども、求めすぎは不幸につながります。
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価値観を見直す
女性と付き合えることに価値を感じる男性は多いと思います。
社会的にもその風潮は強いと思います。
ただ、女性(異性)と付き合うことは、現実そんなにいいことばかりではありません。
女性である前に、一人の人間と付き合うわけですから、面倒なこともたくさんあるはずです。
良い面ばかり見てしまいがちですが、大変な面もたくさんあります。
客観的に見ていけば、女性と付き合うことはあくまでも、人生を幸せにするための、一つの要素に過ぎないはずです。
ネタが一つ増えたと考える
積極的に女性にアプローチしていけば、見下されるなんてことはまぁ割とあるのだと思います。
あまり深刻に捉えずに、ネタが一つ増えたぐらいに思っておけばよいです。
ガガガSPさんの「全国無責任時代」という曲の歌詞に書かれてありました。
良かった面に目を向ける
不幸だと思っていた出来事にも、良い面はあるはずです。
私は学生時代、IBSという病気にかかり、いじめを受けました。
正直、良くないことを考えるぐらいに苦しかったです。
でも、その代わり他人に優しくなれました。
怒ることがめったになくなりました。
他人を攻撃するのではなく、柔らかく伝える方法も覚えられました。
そういった面では、人生の幸福度を増してくれたように思います。
対馬容疑者も、ある女性からは見下されて苦しかったかもしれません。
でも、その代わり他人の気持ちがわかる、優しい人間にもなれたはずです。
より魅力的な人間となって、もっと素敵な女性と付き合ってほしかったなと思います。
負のエネルギーは自分にとってプラスになる方向に使う
参考動画↓
負のエネルギーは、使い方が大事です。
他人への復讐に使っては、不幸への道一直線です。
自分にプラスになることに使いましょう。
女性から見下されたのなら、自分磨きをするでもいい。
新たな趣味を見つけて、楽しみを見つけるでもいい。
だって、人生は幸せになることが目的です。
他人への復讐に時間を使うのはもったいないです。
周囲ができること
気持ちを受け止める
仲間の存在は大きいです。
「自分でできること」で書いたことも、なかなか一人では気付けないことも多いでしょう。
話を聞いてくれて、気持ちを受け止めてくれるような、視野を広げてくれるような仲間の存在がいれば、このような不幸な事態は防げたかもしれません。
私は、現実世界にはそういう仲間はいなかったので、本とインターネットが友達でした。
仲間がいないひとは、本やインターネットがおすすめです。
社会ができること
家庭支援
対人援助職に10年ほど従事していましたが、偏った思考をする利用者さんは、家庭環境が整っていないことが多くありました。
施設でのトラブル(主に対人トラブル)に丁寧に対応し、一生懸命に利用者さんの話を聞いて気持ちを解きほぐして解決させても、家庭に戻ればまた元通り、ということが何度もありました。
対馬容疑者の家庭はどうだったかわかりませんが、母子家庭です。
生活費を母親一人で稼がなければならず、十分に子供と関われる時間がなかったかもしれません。
父が不在なことで、対馬容疑者の心の中で満たされないものがあったかもしれません。
家庭単体で解決するのは難しいでしょう。
地域、NPO、行政サービス等、家庭支援の必要性は強く感じます。
安易に非難はできない
対馬容疑者が身勝手極まりない思考というのはその通りなのですが、私には安易に非難することはできません。
対人援助の仕事を通じて、偏った考え方をする利用者さんをたくさん見てきました。
接しているうちに、どのような人生を歩んできたか、プロフィールを見たり本人から聞いたりする機会があるのですが、「あー、そういう人生歩んできたら、そりゃそういう考え方になるわ」となる方がほとんどでした。
↓いわゆる「京アニ事件」の青葉被告についての記事です。
「京アニ事件」から2年 青葉真司の「呪われた」家系図 祖父、父、妹が揃って自殺(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
自分がもし、同じような家庭環境で育って、同じ経験をしたら、認知が歪まないでいられるだろうかと考えてしまいます。
たまたま恵まれて、今の環境で、それなりに不自由なく育ってこられただけです。
まとめ~他人にも、自分にも優しく、寛容に生きる~
他人に正論をいきなりぶつけても、溝が深まっていくだけかなと思います。
前職の経験ではそうでした。
まずは、相手の話をしっかり聞いて、信頼関係を構築していかなければ始まりません。
炭火を熾すようにじっくりと、焦らずに。
他人と分かり合うのは、本当に大変で難しいです。
「こんなことで傷つくの?」と思うこともあるでしょうけれど、人には、いろんな背景があるのだから、他人に優しく、寛容に接していこうと改めて思いました。