他人との比較・競争意識による苦しみを、少し楽にする(かもしれない)考え方
もさくネコです。
自分は周りの人が当たり前にできることができないので、劣等感が強いです。
それゆえ比較・競争意識が強かったりします。
私の場合、その意識があまり良い方向に働かないので、自分なりに落としどころを試行錯誤してきました。
今日は、そんな私の、比較・競争意識との向き合い方を紹介します。
結論
- 他人との比較・競争意識はデメリットの方が多い。
- 過去の自分と比べるのがよい。
- その方が、成長が実感できて、幸福感じやすい。
目次
私にあるあるだった比較・競争意識
社会人になってからの例を紹介すると
- 数人で歩いている人たちを見る度に落ち込む(友達がいていいなぁ)
- 人が自然と集まってくる人と比べて落ち込む(自分は人間的魅力がないなぁ)
- 先回り・前倒しで仕事ができる人と比べて落ち込む(自分は無能だなぁ)
- 清潔感がある人、顔立ちが整っている人と比べて落ち込む(自分はきもい)
- 落ち着いて、良い声で話ができる人と比べて落ち込む(自分は挙動不審)
- 二人以上で長話している人達を見て落ち込む(自分はつまらない人間)
- 異性と楽しそうに話せる人、カップルや家族連れを見る度に落ち込む(人間的魅力②)
などなど、まだまだありますが、こんな感じです。
他人との比較・競争意識は無数に出てくる
他人は、基本的に自分にはないものを持っています。
そして、自分にないものを持っている他人はたくさんいます。
なので、他人と比較してしまうと、比較・競争する対象は無数に存在してしまいます。
さらに、頑張って何かを達成しても、上には上がいます。
容姿、年収、学歴、結婚生活・・・挙げればキリがありません。
他人との比較・競争で理想を手にするのは難しい
他人がもっているものは、その人だからこそもっているんです。
生まれもったものがそもそも違うし、育った環境も違うし、経験したことも、そこから感じ取ったこともあらゆることが自分と異なります。
比較・競争意識をもってしまい、「なぜあの人のようになれないんだ」と思っても、自分とは全く別の存在なので、違って当たり前なのです。
だから、他人のものを欲しがっても、手にするのはものすごい努力が必要で、難しいんです。
やっぱり比べるなら、過去の自分
このように、他人との比較をしている限り、無数にある、手にすることが難しいものを、いつまでも追い求めることになってしまいます。
永遠に満足はせず、心が休まりません。
不幸の道へ一直線です。
ですので、月並みではありますが、やはり
比べるなら過去の自分、ということになります。
比較対象が自分なら、目標はある程度絞れるので、達成しやすいです。
無数に存在する他人との比較で「あれもできてない、これもできてない」とはなりにくいです。
さらに、過去の自分は、少し努力すれば越えられるので、達成感も得られやすいです。
超えるのが難しい、まったく異なる存在である他人との比較で、「なんで俺はできないんだ」とはなりにくいです。
成果が他人のものと比べて少しだろうと、時間がかかろうと関係ありません。
比べるべきは、過去の自分だけです。
「あの時の自分と比べれば、成長してるな」となれば、OKなんです。
「自分との勝負」という言葉の意味
「自分との勝負」という言葉は、どちらかというと、スポーツなどの勝負ごとの世界において「弱い自分に打ち勝つ」的な意味で用いられています。
しかし、今回の記事を書いているうちに、捉え方が少し変わりました。
結局、自分は自分でしかない。
他人のほうが優れていようといまいとやることは変わらない。
他人と比較して、妬んでも恨んでも嘆いても、能力が上がるわけでも、状況が好転するわけでも、幸せになるわけでもない。
他人との比較は意味がない。
自分の生まれ持ったもの、培ってきたもので、懸命に努力する他ない。
その結果、過去の自分を超えられればそれでいい。
そういう意味で、「自分との勝負」だと思うのです。
だから、比べるべきは、過去の自分です。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
比較・競争意識で落ち込んで苦しむ人にとって、少しはお役に立てたでしょうか?
なんだか、セミリタイアとは全く関係のない記事を量産しています。
ですが、資産ウン千万円でリタイアした人、投資で莫大な利益を得ている人をうらやむ気持ちはあったので、少しは軽くなったかな?という感じです。
自分のスタイルを把握して、他人と比べず、もう少しゆっくりと、穏やかに人生を歩んでいけたらなぁと思います。
感想いただけたら、感謝感激雨あられです。