もさくネコのセミリタイア生活

コミュ障、ぼっち、非リア、無能が少し、前向きな人生を模索するブログ

【雑記】人としての総合的な勝ち負けについて/多分みんな何かしら取り柄がある

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今回は下記の記事について、考えたことを述べます。

比較されて、負けてしまった人間に救いはあるのか | Books&Apps (tinect.jp)

 

結論

  • 一見あらゆる面において、能力的に劣っているように見える場合でも、もう少し掘り下げるとそうでもないかもしれない。優秀な人とは異なる形で社会貢献が出来ているから。
  • もし、あらゆる面で劣っていたとしても、社会に資することは出来ていると考える。比較優位の考え方を知ることで、そのことに気付けるし、多少は気が紛れる。
  • 人生は旅のようなもの。自分は何者なのかを模索し続ける旅。

目次

概要

著者は、黄金頭さん。読書感想の記事も多数執筆されており、ため息が出るほど深い考察です。

今回取り上げた記事から引用します。

かつてのミスコン論争

~「ミス○○大学」とかそういうものは、女性を見た目だけで判断するけしからぬものだ。もっと人間は総合的に評価されるべきだ。そういう意見があった。

それももっともだが、おれはそれに対する反論の方に納得した。

曰く、「人間が総合的に比較されて、それに負けてしまった人間に救いはあるのか」。

~「見た目だけで比較されるなら救いもあるが、総合的に勝ち負けが判断される方が残酷ではないか」。

そんな感じの主張だったと思う。

~そこに「見た目」以外の「人間的なすべて」が評価基準になってしまったら、負けたやつはかなり悲惨だ。

「見た目ではあいつに負けたけど、ほかにいいところはあるよね」という救いがなくなる。

「見た目も、頭の良さも、人格の良さも、社会への貢献度も、すべて劣っている」と烙印を押されるのだ。

それは、悲惨なことだ。

そこからさらに続き、

  • それでも金を稼げれば正義。だが、そんな人はほんの一握り。
  • 評価なんてものから解放されて自由に生きたい、存在を肯定したい。

そのようなことが述べられていると読み取りました。

 

以前は、劣等感の悩みについて、個人的価値への重み付けや、時代による社会的価値変化の可能性などから、軽減を試みました。

今回は、漠然と考えていた違うアプローチを試みます。

『総合的』をもうちょっと広め、深める

私は、もう少し『総合的』の範囲を広め、深めることで、多少は救いをもたらせられるのかなと考えています。

頭の良さも、人格の良さも、社会への貢献度も、すべて劣っているように見えても、実はわりとそうでもない、と考えています。

以下理由です。

例えば、頭が良くない(便宜上そのように表現します)と困ることが結構あります。社会的評価はまぁ低いです。肩身の狭い思いをするでしょう。

しかし、頭が良くない人にしか出来ないことがあると思います。

過去の自分と同じようなところで躓いている人がいれば、丁寧に教えてあげられたり、共感出来るかもしれません。

教えてほしかった、かけてほしかった言葉を掛けられるかもしれません。

頭が良い人が、スマートに物事をこなしていく姿もかっこいいですが、頭が良くない人が何かに頑張る姿だって、色々な人の心を動かす力があります。

その結果、やる気が出たりスキルアップしたりする人達も出てくるでしょう。

それは、社会全体の力を底上げすることが出来ていることに他なりません。つまり、頭が良い人と違う形で社会貢献出来ている。

これは、頭が良い人にはあんまり再現出来ないことのような気がします。

そういう形の社会貢献だってあるはずで、その人なりの社会貢献が出来ればいいんじゃないか、と考えています。

頭がとびきり良い人は、そんなに多くはない(はず)なので、需要は少なくないです。

絶対劣位でも社会に必要だと信じる

もし、本当にあらゆる面で能力が劣っていたとしても、社会に必要なのではないかと思います。

有名な考えですが、比較優位の考えです。

比較優位とは、人間同士または国同士が分業し、生産性を上げるために考えられた、2者間の効率性を比較したものです。

他の事に労力や時間を振り向けたならば得られたであろう最大の利益(機会損失)が最小になるように分業し、生産性を最大化させる考え方で、誰にでも当てはめて考えることができます。

比較優位とは | 経済学はみんなの味方! (ss-wd.com)

私の解釈を述べると

あらゆる能力が優れている人でも、時間や場所等による制約・限界があり、行えない物事がある。

だから、たとえ能力的に絶対劣位(どれも劣っている)だとしても、優秀な人が行えないその物事を行うことで社会全体として、より成果を上げることが出来る。

ということだと思います。

そういう面で社会貢献出来ているとも言えるので、仮に色んな人と比べて能力的に絶対劣位だとしても、社会に必要なんじゃないかなと考えています。

まとめ~人生は旅のようなもの~

色々述べましたが、劣等感による苦しみは簡単に解決しないと思います。

ただ、一応こういう考えもあるよ、ということで気休め程度にはなれたでしょうか。

人生は、自分は何が好きで、何に向いているのか、何が出来るのか、一生をかけて模索していくもので、旅のようなものだと思います。

人生の目標は幸せに生きることですので、どうしても、本当に苦しかったら、自分に合った環境を選んでよいのではないかと考えます。

今回の記事が少しでも皆さんのお役に立てれば幸いです。